翻刻(前欠部分はお茶の水女子大学蔵本より補った)

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うつてをかうむり下総国へうつたちこへたまふ 画工 鳥居清信

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源の満中公の御世つき源のらいくわう天暦八年七月廿四日に御たんしやうし給ふなり 御母公は(近江)

守源俊と申せし御方の御そく女なり 御きしきさまさま有りと也御一もんかたかたより御使しやまいる

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ひいたされ此みねへ来候いしが弘法大師にふうじられ河内国へ下り大師かうやに入定の後又此山へ立帰る丹州大江山に住ひなすとかたりてあまたのxんぞくももれもく酒をの

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頼光は鬼神の首を打給へ五人のもの手足を打へしと山ぢの方へけすがとくにうせける 源の頼信いちはらのへ向わせたまいぐんりよをめぐらしついに鬼道丸を生

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頼光をねxとせし(おりふ)し次の間に四天王のxな公時定光東竹御前へ相つめしゆへ本望とげずしてまた市はらへ飛ゆきけり 画工 鳥居清信